教育新聞 (第63号)
人格養成のための<新・教育学>
=対話による、生徒中心の教育=
「あなたは、こんな時、どうしますか?」
=ケース・スタディ=
「あなたは、こんな時、どうしますか?」
残念ですが、私が、あなたに、直接、お聞きする事ができま せん。
そこで、以下、あなたに代わって、「私だったら、こうす る」と述べることにします。
目の前で起こる状況は、すべて、異なりますから、「いつで も、こうします」と言う事は出来ません。
私が、「極力、こうしたい」と思うことをお伝えしたいと思 います。
(1)生徒同志が、口論をしている時
私は、じっと、見守ります。
手出し、口出しは、しません。
生徒に、口論の体験をさせ、その味を感じて欲しいからで す。
このケースに限らず、何事も、体験の味こそが、生徒を育て るコヤシだからです。
生徒は、自分の体験から、何かを感じ、自ら、何かを学び取 るのです。
これは、誰もが納得できる確かな事実ではないでしょうか。
生徒自身の体験ではなく、先生や親のコトバによる<教え>(知識、道徳)は、生徒を育てる貴重な体験を、生徒から奪 う怖れがあります。
特に、道徳は、きわめて危険です!
なぜなら、<道徳は、いつでも、どこでも、誰でも、こうす べきである>と言う、<絶対的、普遍的、強制的、命令>だ らです。
個人の自由な判断を、絶対に許しません!
幼少時に、おとなから、道徳が植え付けられると、その徳目 は、その子の一生を支配してしまう危険があります。
さらに恐ろしいのは、道徳心は、かならず、罪悪感を生み出 します。
なぜなら、人間が、徳目を、<いつでも守る>事など、だれ にも出来ないからです。
徳目を、破った時,かならず、罪悪感が起こります。
罪悪感は、子供の心を暗くして行きます。
子供を、不幸にして行きます。
このケースで、先生が生徒に「ケンカをしては、いけませ ん!」(先生は、「ケンカは悪いことだ」と考えています) と発言し、ケンカをやめさせる時、先生は、生徒に道徳心を 植え付けているのです。
生徒の成長を、妨害しているのです。
さー、あなたは、こんな時、どうしますか?
*もし、お伝えいただくれば何よりうれしく思います。
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