どんぐりおじさんの<人間関係論>

教育学を中心に、人間関係論やコミュニケーション論などに関する私案を、いろいろ書いています

共育学(第29回)

教師以外の皆さんへ。
私の記事は教師の皆さんを対象にして書かれています。
しかし教師以外の皆さんにも、ぜひお読み頂きたいと願っています。
何かのご参考になるのでは、と考えているのですが、いかがでしょうか?



              共育学(第29回)
       =自己概念テスト結果の検討(その17)



         

                                                                    

                                              私は、どんな人?



 教師の皆さん。
前回に引き続き、あなたが試みた<自己概念テスト結果>を、あなたなりに検討、分析をして下さい。
以下に述べるのは、私なりの検討、分析です。参考にして頂ければ有りがたく思います。

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(1)~(16)・・・すでに検討済みです。
  今回は、(17)からです。



 自己概念(17-1)「私は、生徒に、しばしば不満を感じる」。


生徒のどのような言動に、不満を感じるのでしょうか?
ここがポイントです。




不満を感じるのが、妥当な場合と、妥当ではない場合が、あると私は思います。


(イ)次のような時、不満を感じるのは妥当でしょう。
*授業中に生徒が、騒がしくて、授業が出来ない時。
*生徒が遅刻して来た時。


これらの不満は、先生としての責任感から生じたものであり、生徒の成長に役立つと考えられるので、妥当な不満だろう、と私は思います。
もし、このような場合に、不満を感じないとすれば、生徒への関心、教師としての責任感が、弱いのかも知れません。




(ロ)次のような時、不満を感じるのは、妥当ではないでしょう。
*「おはよう」と挨拶した時、生徒が、黙っていた場合。
*生徒同志のケンカをとめたのに、ケンカをやめなかった場合。
*「赤い靴を履くのは、やめなさい」と注意したのに、生徒がその通りにしなかった場合。


これらの不満は、生徒の成長とは関係のない、先生個人の誤った、身勝手な教育観から生じたものかもしれないと、私は考えます。
ですから、妥当な不満とは言えない、と私は考えます。
先生自身が、<現在の自分の教育観>を、健全なものに改善する事が出来れば、このような身勝手な不満は、無くならないにしても、弱まるでしょう。





自己概念 (17-2)「私は、生徒に、ほとんど不満を感じない」。


先生は、生徒の成長を願いながら、生徒たちと、日々、関わっています。
ですから、この願いが強ければ強いほど、思うように、うまくいかないことが多く、いろいろな不満、怒りなどが、あなたの中に生じると考えられます。


それなのに、「ほとんど不満を感じない」のは、なぜでしょうか?


その原因は、何でしょうか? 
あなたの<生徒の成長を願う気持>が弱いため、<生徒の言動に対する関心>が薄く、生徒をよく観察していないのではないでしょうか?
もし、そうであれば、あなたは、生徒の言動に、不満も、怒りも、喜びも、感じる事が、ほとんどなくなってしまうでしょう。


残念ながら、あなたの教師生活は、不毛になったしまうのではないでしょうか?
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      コメントを、いつも心待ちにしている              どんぐりおじさん
      (共育心理研究者。共育カウンセラー)


          

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