どんぐりおじさんの<人間関係論>

教育学を中心に、人間関係論やコミュニケーション論などに関する私案を、いろいろ書いています

共育学(第22回)

教師以外の皆さんへ。
私の記事は教師の皆さんを対象にして書かれています。
しかし教師以外の皆さんにも、ぜひお読み頂きたいと願っています。
何かの参考になるのでは、と考えているからです。


                                                          
             共育学(第22回)
      =自己概念テスト結果の検討(その11)=




                                                       


                                                   私は、どんな人?



教師の皆さん。
前回に引き続き、あなたが試みた<自己概念テスト結果>を、あなたなりに検討、分析をして下さい。
以下に述べるのは、私なりの検討、分析です。参考にして頂ければ有りがたく思います。




<自己概念テスト結果>の検討(その10)


(1)~(12)・・・すでに検討済みです。
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今回は、(13)からです。



(13)「私は、生徒に「善いこと、悪い事」を、教えようとする」。


 プラス側の先生は、この(上記)教育方針に賛成した訳です。


マイナス側の先生の教育方針は、「私は、生徒に「善いこと、悪いこと」を、教えようとしない」と言うことです。





 ここで、プラス側の先生に、お聞きしたいと思います。


「善いこと」とは、何ですか?
「悪いこと」とは、何ですか?


あなた「そんな事は、昔から決まっている事だから、今さら私が考える必要はありまん」。


わたし「あなたは、昔から決まっている事だ、と言われましたが、いつ、誰が、決めた
のですか?」


あなた「わたしは、そんなことは、知りません。しかし、昔から言われてきた事だから、間違いはありません」


わたし「では、あなたは、なぜ、『昔から言われていることは、間違いがない』と判断出来るのですか?」


あなた「こんな、抽象的な議論をしていても始まりませんから、具体例で話し合いませんか?」


わたし「それは、いいアイデアですね。では、昔から、おそらく多くの国で、『嘘をつくことは、悪い事だ』と言われてきましたが、この事について、あなたは、どう考えますか?


あなた「当然、『嘘をつく事』は、悪いに決まっています」。


わたし「では、お聞きします。『嘘をつく人は、悪い人だ』と言う事になりますね?」


あなた「当然、そうなります」


わたし「しかし、実際の生活では、私達、すべての大人達(子供達は、ほとんど嘘をつ
きません。実に正直です)は、毎日、毎日、何度も嘘をつきながら暮らしています。
本心を言う事など、めったにありません(ここでは、『本心ではない事を言うのが、嘘
だ』と定義しています)。
この事実を、あなたは認めますか?」


あなた「認めないわけには、いきません」


わたし「そうなると、あなたも、わたしも、政治家も、保護者も、皆、「嘘つきだ」、
「悪い人だ」、という事になりますね」


あなた「そうなります。しかし、相手が言った事に、私が、そう思わなくても『そうで
すね』と本心ではないこと(嘘)を言わないと、自分や他人が、傷ついたり、損をしてし
まうことがあるのですから、仕方がないでしょう!」


わたし「わたしも、そう思います。『嘘も、方便』である事を、あなたも、私も、認めたことになりますね」


あなた「そうなります」


わたし「そうなると、嘘は、時と場合では、自分や他人の利益を守るために、有益であり、結局、「悪い事」であるどころか、「善いこと」だ、と言うことになりますね?」


あなた「そう言うことになりますね。結局、あなたが、わたしに言いたかったことは、何でしょうか?」


わたし「一概に、物事や人間の行動を、『善い事だ』とか、『悪い事だ』とか、二者
択一の判断基準で、判断する事は、出来ないのではないか、誤りではないか、という事
をお伝えしたかったのです。


人間の生活は実に複雑です。


環境も、人の気持ちも、刻々、変化して行きます。
この様な中で、物事を、『白か、黒か』、『正しいか、誤りか』、『右か、左か』などと、二者択一のモノサシで判断する事は、わたしは、出来ないと考えるのですが、いかがでしょうか?


ある時は、善い事でも、別の時には、悪い場合も、あるのではないか、という事をお伝えしたかったのです。


実際の生活の中で、人間の行動や考えの妥当性、適切性、現実性、利害損得、などを判断する時には、二者択一の判断基準を使えないのではないでしょうか? 



では、どうしたらよいでしょうか?


私は、次のように考えながら、判断しながら、生活しています。
これ以外には、複雑な現実生活の中での、判断の仕方は、私には、見つからないのです。



私の考え方、判断の仕方は、次のようになります。


ケース・バイ・ケースで、「私が、今、そうすると、どんな事が、実際に、起こりそうか」、「私が、あーすると、どうなりそうか」を、自分なりに、時には他の人にも相談して、具体的に、慎重に、検討し、判断するように、心がけているのです。


しかし、これは、なかなか、確実な答えが出ない事が多いのです。仕方がないので、不確実な判断で、実行するしかありません。そして、その結果をよく見て、自分として、不満足なことが起きていれば、そこで修正します。何事も、試行錯誤です」。
 
  
あなた「確かに、あなたの判断の仕方が、妥当だと言う気がしてきました」


わたし「理解しあえて、本当に良かったと思います」。
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            コメントを、いつも心待ちにしている             
                       どんぐりおじさん
            (共育心理研究者。共育カウンセラー)


                                   

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