どんぐりおじさんの<人間関係論>

教育学を中心に、人間関係論やコミュニケーション論などに関する私案を、いろいろ書いています

   先生のための<ひとこと集>(第3回)

       先生のための<ひとこと集>(第3回)


                  

ひとこと ③<教育>と言う文字について。
<教育>と言う文字には、暗黙の内に次のような意味を含んでいると、私には思えるのですがいかがでしょうか?


(1)<教>・・・教育とは、<先生が知っていることを、生徒に教えることである>。
(2)<育>・・・教育とは、<先生が、生徒を育てることである>。




もしも、私のこの見方が正しいとするならば

(1)は、<教育の目的(教師の役割)は、教師が知っている事を、生徒に教えることである>ことを意味します。
これは<教育の目的は、知識教育である>事を意味します。


(2)は、<先生と生徒の上下関係>を意味しています。先生が、生徒の上位にいます。
二人は、人間として、同じ位置(対等な位置)に存在していません。
人間として、<先生は優秀であり、生徒は劣者である>事を意味しています。
そして、<教育は、人間として、上位にいる優秀な先生が、下位にいる劣った生徒を、育てる事>を意味します。




もそも、<教育>と言う文字に込められている<暗黙の意味>を、上記のように解釈することが正しいとするならば、このような<教育>に、私は、決して賛成することが出来ないのです。
なぜなら、(1)も(2)も、私が考える真(理想)の教育に反し、真の教育に接近して行くことが決して出来ないと、私は信じているからです。




私が考える<真(理想)の教育>とは、皆さん、きっと驚かれることとは思いますが、次のようになります。
(1)まずは、教師の人間形成、人格養成です。

(2)次が、生徒の人間形成、人格養成です。先生が(1)の努力をするならば、(2)は、自ずと、達成されて行くでしょう。生徒は、先生を良く見ていて、先生に倣おうとするからです。


(3)決して知識中心の教育では、ありません。
生徒にとって、知識は必要ですが、その知識は、健全な生活に必要なもの、および、生徒の人格養成に役立つ読書などが良いでしょう。
道徳などを教えることは禁物です。生徒の人間性を破壊するからです。




上記の、私が考える<真(理想)の教育>を実現するための、理想の条件は、次のようなものです。
(1)教師と生徒が、人間として対等の位置に立つこと。

(2)教師が、誠実に、正直に、生徒と接し、対話すること。

(3)教師は、自分自身の人間形成に努力する事。

(4)教師は、生徒の人間形成に努力する事。



ここに掲げた条件は、理想の条件であって、すべての人間が、今すぐ満たすことは到底出来ません。教師も、生徒も、誰でも、未熟な人間だからです。
しかし、この理想に向って進もうとする過程にのみ、先生と生徒の、すべての人間の、喜び、悲しみがあり、生き甲斐がある、と私は確信しているのです。
この道は、やる気になれば、誰でも、少しずつ実現して行く事が出来る道なのです!
頑張りましょう!

(おわり)
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いつでもコメントを待っている どんぐりおじさん。
              (教育心理研究者。教育カウンセラー)



                  

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