どんぐりおじさんの<人間関係論>

教育学を中心に、人間関係論やコミュニケーション論などに関する私案を、いろいろ書いています

「人間の壁」(石川達三)と教育(第10回)

「人間の壁」(石川達三)と教育(第10回)




                                


「人間の壁」(石川達三)は、昭和30年代、小学校の教師、志野田ふみ子(冷たい夫と離婚後、尾崎ふみ子)が、教育とは何か、教師の役割とは何か、教師の喜びはどこにあるか、生き甲斐のある人生とは何か、を追求してゆく悪戦苦闘の姿が、石川達三の鋭い眼をとうして描かれています。



今回も、前回に続いて、尾崎ふみ子先生が、教師としてしての、自分の喜びを語ります。



以下、引用、抜粋です。
(尾崎先生は、盲腸で入院中です。そこへ同僚の須藤房枝先生が、お見舞いに来てくれました)。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 たいていは原稿用紙に一枚以内の短い文章だった。舌足らずの不器用な手紙。まるで形式的な感情のこもらない手紙。また見舞い文という目的を忘れ自分の事ばかり書いた手紙。切々として寂しさを訴えた手紙。・・・


「先生、もうちょう、いたいですか。びょういんは、くすりばかりで、なんにもたべさせてくれないって、ほんとうですか。せんせいがいないと、みんなさわいで、ちっともべんきょうしません。だけどしけんはすんだから、もういいです」。


「先生、この前、ぼくの兄さんが、もうちょうを切りました。ぼくは病院へ見舞いに行きました。兄さんは手遅れで死にました。先生は大じょうぶですか。土井先生は大じょうぶだと言いましたから、ぼくは大じょうぶだと思います。兄さんは火そうばで焼かれてお墓にうずめられてしまいましt。それでお母さんは病気になってねました。だけどもうなおりました。先生、はやくなおって下さい」。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 
(ここまでが、前回)。
(ここからが、今回)。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
これらの幼稚な見舞い文は、ほとんど見舞い文の形を成していない。けれども受け持ち教師のいなくなった教室の中の、一種の混乱と無秩序,子供達の戸惑いした心の姿が、手に取るように感じられるのだった。尾崎ふみ子は枕の上で一枚ずつ丹念に読みながら、ひとりでくすくす笑ったり、笑いながら涙を流したりしながらしていた。そして生徒たちを心から可愛いと思った。まるで自分の子供のような気がするのだった。


何枚目かに、金山明夫の作文があった。この長欠の子もなんとか6年生になれるだろう。
「きのう、ぼくが学校に行ったら、先生がいませんでした。山岸君が、おめえしらねーのか、先生はもうちょう切ったんだぞ、だから血が出てよー、いたいいたいって泣いたんだぞといいました。それからみんなドッジボールをしました。ぼくは何だかしんぱいで、しんぞうがどきどきしてドッジボールをしないで見ていました。
 土井先生や中西先生がきょうしつに来て、いつも自習ばかりでした。ぼくはだんだんしんぱいになって、泣きそうになりました。うちえかえってお父さんに、先生がもうちょうを切って、死ぬかもしれないと言ったら、お父さんは、ばか、もうちょうなんかで死にゃしないと言いました。ぼくが死にそうになっていたとき、先生はぼくをたすけてくれました。だからこんどはぼくが先生をたすけてあげたいと思います。だけど、ぼくはどうしていいかわかりません。おかねがないからなにもできません。先生、ゆるして下さい」。


最後の一行を読み終わったとき、彼女の眼から涙があふれて出てほおを伝った。「許してください」と言う一語に込められているこの子の複雑な気持ちは、尾崎ふみ子だけにしかわからない、二人の間の秘密だった。感謝であり、愛情であり、自負の心であり、いらだたしさである。彼女の涙は満たされた心の感動であった。この少年の誠実な気持ちから自然に流れ出た一言が、彼女の胸の中を温かい感動で一杯にしたのだった。少年が家出した夜、海岸の洞穴まで探しに言った苦労も、夏休暇のころに夜間授業をして学習を進めてやろうとした努力も、今は完全に報われた気持ちだった。(つづく)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

           


    どんぐりおじさん

×

非ログインユーザーとして返信する