生徒が生きている世界、先生が生きている世界(第2回)・・・接点は、どこに?
*この記事は、先生方だけでなく、一般の皆さんにも、お読みいただきたいと、私は願っています。
その場合は、<先生>を<おとな>、<生徒>を<子ども>と変換して下さい。
内容自体は、変換の必要は、まったくありません。
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生徒が生きている世界、先生が生きている世界(第2回)
=接点は、どこに?=
(第1回)で述べたように
(A)生徒が、生きている世界は、感性の世界、感覚の世界、感情の世界です。
(B)先生が、生きている世界は、世間、社会です。
ここでは、常識と道徳が、判断基準となっています。
(A)と(B)の接点は、あるのでしょうか?
あるとすれば、どこに、あるのでしょうか?
私のこれまでの観察によれば、(A)と(B)の間に、接点は、どこにも、ないのです!
これは、私には、事実に思えるのですが、いかがでしょう?
1例をあげて見ましょう。
先生が、社会常識である<挨拶>を、生徒に守らせようとしても、99・9%の生徒 は、なかなかこれを実行しません。
0・1%の『良い子」だけが、無感動の表情で実行します。
この例以外でも、同じに見えますが、いかがでしょうか?
ここで、大問題が発生します。
「教育の場に、先生と生徒の間(あいだ)に接点がないならば、先生と生徒の対話(通信、コミュニケーション)は、不可能なのだろうか?」と言う問題です。
教育は、おもに、先生と生徒の対話(通信、コミュニケーション)によって実行されますから、接点がないと言うことは、教育の根幹にかかわる大問題です。
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あなたは、この問題をどのように解決したらよいとお考えでしょうか?
あるいは、私の見解に、異議がおありでしょうか?
*率直なコメントをお願い致します。
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どんぐりおじさん