どんぐりおじさんの<人間関係論>

教育学を中心に、人間関係論やコミュニケーション論などに関する私案を、いろいろ書いています

先生のための<ひとこと集>(第15回)

            先生のための<ひとこと集>(第15回)

                                             

ひとこと ⑮ 自己概念(自己認識)について。


前回、私は、次のような事を書きました(詳しくは、前回を参照)。


あなたが、今まで、見なかった、いや! 見たくなかったために見えなかった、自分や他人の<醜い性質や不快な性質>が、見えてくるのです。
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今回は、上記のようなことが、なぜ起こるのか、研究しましょう。


自己概念(自己認識)とは、自分が、自分に対して抱いている多くの概念(考え)です。


田中先生は、自分の事を、こんな風に思っています。

「私は、親切な人間である」
「私は、教師には向いていない」

「私は、子供が、きらいだ」
「私は、内向的だ」
などなど。


これから、「私は、他人に親切な人間だ」という<自己認識(イメージ)>を取り上げて、いろいろ、検討して見たいと思います。


検討(1)
田中先生が、実際の生活の中で経験している、<実際の自分の態度、行為>は、いつでも、他人に親切にしているわけではないのは、明らかです。
そんなことが出来るとしたら、それこそ、奇妙です。
誰にも、そんなことは、出来ません。聖人君主ではないからです。


田中先生の<実際の自分>は、他人に対し、ある時は親切だったり、ある時は怒ったり、ある時は憎んだり、いろいろに振舞っているはずなのです。


結局、「私は、親切な人間である」と言う、田中先生の自己概念は、<現実の自分の行為>を誤解(誤認)しているのです。


端的に言えば、田中先生の自己概念は、田中先生の思い込みなのです。


それなのに、田中先生は、「自分は、いつでも、親切なのだ!」と主張するのです。

このような心理現象が、起こっているのです。
他人が、田中先生の行動を観察すれば、すぐ証明する事が出来るのです。



以上の検討によって、今回の研究課題は解決したのです。


今回の研究課題
「なぜ、人間は、自分が、見たくないものを、見る事が出来ないのでしょうか」


答え

人間の自己概念が、人間を盲目にし、自分の現実の行為を見る事を妨害しているからです。
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      いつでもコメントを心待ちにしている  
           
どんぐりおじさん
          (教育心理研究者。教育カウンセラー)



             

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