教育新聞(第21号)
真の教育は、温かい心[気持]の交流によって実現するでしょう。
人格養成のための<新・教育学>
=対話による、生徒中心の教育=
<生徒の人格養成>の実践
=その具体的方法=
第21号を参照しながら、お読み下さい。
<通じ会える道>、<通じ会えない道>にいる人間の人格の研究
(Ⅰ)<通じ会える道(喜びが、多い道)>にいる人間、の人格の特徴。
この人間の人格の最大の特徴は<気持中心>ということです。一瞬、一瞬の、 <生徒の気持>、<自分の気持ち>を知ろうとします。そして、自分が感じた<生 徒の気持>、<自分の気持ち>を、生徒に伝えることによって<生徒の人格養成> を実現しようと努力します。この道には、<人間らしい、温かい心(気持)の交 流>があります。
(Ⅱ)<通じ会えない道(不満が、多い道)>にいる人間、の人格の特徴。
この人間の人格の最大の特徴は浅薄な<理屈中心>、<善・悪中心>、<正・誤 中心>です。生徒の言動を「良いこと」か、「悪いこと」か、または<正しいか、 <誤り>か、で判断します。<二者択一のモノサシ>が、頭に強くあるのです。生 徒の行動を「良い」と判断すれば、ホメル。「悪い」と判断すれば、トガメ、注意 するのです。必ずこうなります。その人自身は、どこにも、いません。<○・×> のモノサシ>があるだけです。
例 *「ケンカをするのは、悪いことだ」(「仲良くするのは、良いことだ」)。
*「ウソをつくのは、悪いことだ」(「正直は、良いことだ」)。
*「挨拶をキチンとしないことは、悪いことだ」(「挨拶をするのは、良いこ とだ」)。
*「遅刻するのは、良くないことだ」(「遅刻しないことは、良いこだ」)。
何もかも、「良い」か、「悪い」か、<ふたつに、ひとつ>です。「白」か「黒」 かです。
このようにして「良い子」、「悪い子」を作ってしまうのです。良い子も、悪い 子も、不幸です。人間としての成長がなく、<白、黒>だけの、喜びのない人生と なるからです。
この<善・悪判断>、<正・誤判断>には、次の様な問題点があります。
(1)「良いこと」とは、何か?「悪いこと」とは、何か? が、その人自身よっ て、考慮され、また、検証されていないのです。ケンカをすることが、なぜ、ワ ルイコトなのでしょうか? その根拠は、何でしょうか? 誰が、ワルイコトだ と、決めたのでしょうか? 私には、解らないのです。
(2)複雑な環境の中で起こる、現実の人間の行動は、実に複雑で、ひとつ、ひとつ が、すべて、異なるのですから、簡単に、二者択一することは、出来るはずもな
いのです。
(3)<善・悪判断>による先生の発言は、生徒には「理解することが、出来ていな い」,通じて、いない」と言う事実が、あります。これを解らせるために、アメ とムチと言う非人間的手段を取らねばならない、と言う残念な事実があります。
(4)<善・悪判断>で教育された生徒は「人間として成長せず、幸福になること が、出来ていない」と言う、悲しい事実が、あります。
(Ⅲ)結論・・・生徒の人格を養成し、生徒を幸福に導くには、先生と生徒が、率直に、 お互いの気持を伝えあい、理解しあい、協力して生活することが、何より重要であ り、この道にしか、<お互いが、幸福になる道>はない、と私は確信しているので す。=以上=
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