新・教育学(その2)
*私達は、子供(誕生から、いつまでも)が、心身ともに、元気に育ち、生き生きと暮らして行くことを願っています。
しかし、この願いを達成して行くことは、私達にとっても、子供達にとっても、とても困難な道です。
この[新・教育学]が、この願いを達成するために、何かしらお役に立つ事を切望しています。
*皆さんからのコメントを心待ちにしています。
人格養成のための<新教育学>(その2)
対話による生徒中心の教育
(Ⅱ)教育の目的は、ただひとつ! 生徒の人格養成。
教育の目的を、次のふたつに分けました(その1、参照)。
(1)知識教育
(2)人格養成
しかし、生徒が一人の人間として、自己の人格を養成していくためには、知識が必然的に必要になるのですから、(1)は教育の第一目的ではなく(2)のための補助手段であると言う事になります。
従って、論理的に考えて、<教育の目的は,ただひとつ、人格養成である>、と言う事が出来るのです。
しかし、現代教育は、どうなっているでしょうか?
現代教育は、知識教育に重点がかかり過ぎて「教育とは、知識教育である」と考えられ、生徒の人格養成が軽視されているように、私には見えるのですがいかがでしょうか?
人間は、いくら多くの知識を学んでも、幸福になることは出来ないのは明らかです。
もし、知識の量が多いほど、幸福になれるのだとすれば、すべての学者は幸福になるはずです。
しかし、実際は、そんなことにはなっていません。
知識は、人格養成に役に立ってこそ、意味があるのではないでしょうか!
(Ⅲ)夏目漱石・著「模倣と独立」を読んで。
次に、夏目漱石・著「模倣と独立」(抜粋)を示します。
「私はイミテーションを非難しているのではないけれども、人間の持って生まれた高尚な良いものを、もしそれだけ取り去ったならば、心の発展が出来ない。心の発展は、そのインデペンデントという向上心なり、自由という感情から来るので、われわれもあなた方も、この方面に修養する必要がある。そういうことをしないでも生きてはいられます。また自分の内心にそういう要求がないのに、唯表面だけ突飛なことを遣る必要は無論ない。イミテーションですまし得る人は、それでよろしい。インデペンデンとの資格を持っておって、それをほおって置くのは惜しいから、それを持っている人は、それを発達させて行くのが、自己のため日本のために幸福である」。
ここで、漱石が強調している「心の発展」と「人格養成」とは、あきらかに同じ概念である、と私は心強く感じたのです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
どんぐりおじさん