どんぐりおじさんの<人間関係論>

教育学を中心に、人間関係論やコミュニケーション論などに関する私案を、いろいろ書いています

教育新聞(第39号)

   人格養成のための新・教育学
      =対話による、生徒中心の教育
           

          


人間の性格(その5)

 (5-4)道徳の発生
   (ここまでが、前号)。
      
(5-5)嘘をつくのは、悪いことでしょうか?
        この徳目は、
         広く
          誰もが認めている徳目ですが、
           はたして正しいでしょうか?


        もし正しいとすれば、
         すべての大人は、
          「嘘つき人間」ではないでしょうか?


        毎日、毎日、
         何度も、何度も
        私達は、
         誰もが
          嘘を付いているからです。


        本心を、
          他人に見せないこと、
          語らないことが、
            嘘をつくことだとすれば 


        本心を、
          他人に見せること、
          語ることは、
           ほとんどない、と
            私には見えるからです。


        それなのに、
         私達は
          自分が嘘を付いていることを
           自覚していないのです。


   もし、嘘をつかないで、
    本心を語るとしたら、
     私達の日常生活の人間関係は、
      メチャクチャになり、
       成立しないのではないでしょうか?


   たとえば、誤解を恐れずに
    思い切って言えば、
     政治家は
      上手に嘘をつくことを
       職業にしているように私には見えますが、
        いかがでしょうか?
  
   これも必要なのではないでしょうか? 


   政治家自身の利益ではなく、
    国民の利益を守るためならば。


   このような現実を認めるならば、
    「嘘をつくのは、悪いことだ」と言う徳目を
      正しいものとして
       認めることが
        私には出来ないのです。


   このような
    非現実的な徳目を、
     子供達に教えたり、
      守らせようとしたりする教育は、
    生徒の成長を
     妨げるのではないでしようか?
 
   ついでに言えば、
    子供達は
     嘘をつきません。
      実に驚くほど
       正直です。


   嘘をつかない子供達に、
    「嘘をついては、いけません」と教えるのは、
      どうみても、変な気がしませんか? 
   
         変ですよね! 
         本末転倒?
         矛盾?


  <まとめ> 
     この項で、私が言いたかったことは、次のことです。


     「嘘をつくのは悪い」という徳目は、
     一例として取り上げただけで、
     すべての道徳律について、
     次のように言いたかったのです。


    ()徳目には
       「正しいもの」もあるかもしれないけれど、
       「正しくないもの」もある、と言うこと。


       ここで言う
        「正しい」とは、
          「現実に一致している」という意味です。


        「正しくない」とは、
          その反対の意味です。


    ()「正しい徳目」(もし、ある、と仮定して)と
       「正しくない徳目」を
         見分けることは、
          私達には、
           非常にむずかしい、と言うこと。


    ()もし
        現実に一致していない徳目を
         自分が守ろうとして、


        あるいは、生徒に守らせようとして
  
        自分や生徒の行動に
         ブレーキをかけると
          一歩も動けなくなってしまい、


        自分や
        生徒の
         成長の肥料となる、
          いろいろの、大切な経験が、
           出来なくなってしまう
            と言うこと。


       例えば、ここで、1例として取り上げた上記の
        徳目を、守ろうとして


       「嘘を、つくまい、つくまい」と
         気にしていたら、
          現実の生活は
                                       出来ないと言うこと。



   結論として、

       道徳律を守ろう、
         守らせよう、としないで


     先生と
     生徒が、
      多くの経験をすることこそが
         先生と
         生徒が
          成長して行くために、


        また、自分の性格を
            知って行くために、
          何より、重要ではないかと言うこと。

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     ドングリおじさん
          メールアドレス    takano2424@sky.plala.or.jp 
              ブログ       http://donguriojisan.muragon.com/
                    

                     


                   






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