どんぐりおじさんの<人間関係論>

教育学を中心に、人間関係論やコミュニケーション論などに関する私案を、いろいろ書いています

教育新聞(第31号)

 道徳教育(戦前の愛国教育などなど)が、生徒を始め、すべての人間の、人格を破壊することは、歴史が証明していると、私は思うのですが、いかがでしょうか?
       
  人格養成のための新・教育学
    =対話による、生徒中心の教育=
   

        

 
 先生に求められる能力と、その考察(6)

  (4)思考力、判断力、決断力を強化しよう!
 
    (4-1)その方法は?


       私達は、これまで、


        「私が、疑う」、


        「私が、考える」、


        「私が、判断する」、


        「私が、決定(決断)する」


      という努力を、少し怠ってこなかったでしょうか? 


      そのために、
        懐疑心、思考力、判断力、決断力が、弱まっていないでしょうか? 


      どんな能力であれ、
       ある能力を、自分のものとするためには、
        乳幼児のように、ねばり強く、繰り返し、繰り返し、
         トレーニングをするしかないのです。


      集中力、注意力、感受性、思考力、判断力、決断力、その他、すべての能力     も同じです。     
   
(4-2)トレーニング

      さっそく、トレーニングを、ひとつ、やりましょう。
 
      家庭や学校などに広まっていると思われる、
 
      <ウソをつくのは、悪いことだ>という道徳観を

         「あなたが、疑い」、


         「あなたが、考え」、


         「あなたが、満足できる<あなたの考え>を、決定する」のです。


     さー、何人かの人に、聞いてみましょう。


      A先生
        「この考えは、正しいに決まっている。昔から、誰もが、こう考えてき


         たのだから。いまさら、検討するまでもありません」。


      B先生  
        「この道徳観は、いつ、誰が、決めたのでしょうか? 


        <悪い>とは、一体、どういう事を意味するのでしょうか?
 
         私が見たところ、すべてのおとなは、ウソをついています。


         『ウソも方便』という諺さえあります。


          かりに、私が生徒に『ウソをついては、いけません』と教えれば、         批判力のない彼らは、私が言う事は正しいと思い『ウソをつくのは、         悪いことだ』という道徳観を身につけるでしょう。


          やがて大きくなって、親や先生もウソを付いていることに気がつい         た時、また世間にはウソが溢れていることに気づいたとき、
         彼らは、どう感じるでしょうか? 


          彼らの心は混乱し、心にシコリ(ストレス)ができ、彼らの健全な         成長、幸福を妨げるにちがいありません。


          恐ろしいことに、一度、心に植えつけられた道徳観は、簡単には、         治療できないのが事実です。


         一生、その人の人生を支配してしまうことが、多いのです。


          このような意味で、この道徳観は、私は、間違っていると考えてい         ます。」


          この道徳観に限らず、
         私はすべての道徳観を生徒に教えません。


          しかし、私の心にも、私が気づいていない道徳観が記録されている         に違いないので、充分、注意しなければいけないと思っています。


          生徒達は、決してウソをつきません。
         皆、正直です。


          そんな彼らに、私達が「ウソをついては、いけません」と教えた          ら、彼らは「何のことだろう」と不思議に思うでしょう」。


     C先生
        「私は、<ウソを付くのは、悪いに決まっている>と思っていました。


         私は、子供の時から、親からも先生からも、そう言われてきたので、        言われたことを、ただ鵜呑みにしていたことに、最近、初めて気がつ         き、驚きました。<私自身が、考える>と言う事が、なかったのです。


         自己点検のレッスンをやって、このことに、気づいて、ほんとに良         かった!と思います」。
   
     *D先生
       「私は、次の場合、積極的にウソをつきます。
        (1)自分の身を守りたい時。ただし、自分と他人に実害がない、と推           測される時。
        (2)他人の利益を守りたい時。ただし、自分と他人に実害がない、と           推測される時。


B・ラッセル卿
  「虚言はいかなる場合にも正当ではないということを、
  私は断固として拒否するものだ。


   ある日、かつて田舎道を散歩している時
  疲労困憊した一匹の狐が、やっとのことで走っていくのを見たことがある。


   やがて5,6分もしてから、私は、狩人たちにぶつかった。
  そして彼らは私にその狐を見なかったか、と聞いた。
    私は見たと答えた。
    彼らは、その狐がどっちに行ったかと聞いた。


    そこで私は彼らにウソをついた。
   狩人たちに、狐が行った方向と、反対の方向を教えた。


    ところで、もし私が本当のことを言ったら、私は一層よい人間であったろうか。


    私は決してそうは思わないのだ」(「幸福論」より)。


今、これをお読みのD先生
   あなたは、どうお考えでしょうか?


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