どんぐりおじさんの<人間関係論>

教育学を中心に、人間関係論やコミュニケーション論などに関する私案を、いろいろ書いています

一日・一言(その35)

             一日・一言(その35)


      日光・東照宮の三猿


     

            陽明門


(1)見猿(みざる)。
「我輩は、見猿である。
見たいものだけを、見ているのである。
見たくないものは、見ていないのである。
何でも見ようとは、しないのである。
それでいて、その自覚が無いのである。
何でも、良く見ている、と勘違いしているのである。
だから、広い世界が見えないのである。


人間よ!
我輩のように、なってくれるな!
何でも良く見て、見える世界を広げてほしい」。



(2)聴か猿。
「我輩は、聴か猿である。
聴きたいものだけを、聴いているのである。
聴きたくないものは、聴いていないのである。
何でも聴こうとは、しないのである。
それでいて、その自覚が無いのである。
何でも、良く聴いている、と勘違いしているのである。
だから、多くの音、声が、聴こえないのである。


人間よ!
我輩のように、なってくれるな!
特に、人の声、人の気持ちを、良く聴いて欲しい!
そして、心の交流を豊かにして欲しい」。



(3)言わ猿。
「我輩は、言わ猿である。
感じたことを、言わないのである。
意見を、言わないのである。
言おうとしないのである。
それでいて、その自覚が無いのである。
何でも、良く話している、と勘違いしているのである。
だから、心の交流が出来ないのである。


人間よ!
我輩のように、なってくれるな!
<親と子>の関係、<先生と生徒>の関係では、感じた事や意見を正直に話して欲しい。
そして、心の交流を豊かにして欲しい。


しかし世間一般の人間関係の対話では、相手を良く見て適用して欲しい」。


三猿の叫びは、人間への愛のメッセージでは、ないでしょうか!
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    どんぐりおじさん

       

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