どんぐりおじさんの<人間関係論>

教育学を中心に、人間関係論やコミュニケーション論などに関する私案を、いろいろ書いています。

教育新聞(第5号)

第5号 2015年11月12日発行 「道徳教育と罪の意識(第2回)」


第4号で、ラッセル氏は、次のように語っています(要約)。
「不合理な道徳教育が、子供の心に植えつけられると罪悪感が生じる。罪悪感とは、その原因が、彼自身には良くわからないが、自分が何だか悪いことをしているような、ウシロメタイような、不快な感情のことである。この感情は、彼の生活を暗くし、彼を不幸に導く」。
さて、彼を罪悪感から解放し、彼を幸福に導くには、どのような方法があるのでしょうか? 今回は、その方法を考えたいと思います。


ラッセル氏は、次のように言っています。
「不合理な罪の意識を起こさせるような、愚かな教育の害を最小限に食い止めるために、おとなに何ができるか、ということである。ここでの問題は、これまでの諸章で私たちが直面したのと同じである。すなわち、無意識に働きかけて、私たちの意識的な考えを支配している合理的な信念に注目させることである。人間は、気分に流されるままに、ある時はこちらを信じ、ある時はあちらを信じるようではいけない。・・・・・・。人間が元気のいいときに理性をフルに働かせて慎重に信じたことは、彼にとって、あらゆる場合に何を信じたほうが良いかに関する基準となるはずである。


適切なテクニックを用いるならば、無意識の小児的な暗示を克服する事はも
ちろん、無意識の中身を変えることさえ、まったく可能なのだ。理性が悪くないと告げる行為について、あなたが後悔を感じ始めるような時には、その都度、後悔の感情の原因を調べて、それが不合理なものであることを、いちいち得心することだ。あなたの意識的な信念を生き生きと強力なものにして、あなたが子供のころ、乳母や母親から受けた印象と十分に闘えるくらい強烈な印象をあなたの無意識に与えられるようにすると良い。合理的なときと不合理なときとが交錯することで満足してはならない。不合理をつぶさに点検し、こんなものは尊敬しないし、支配されもしないぞ、と決心するのだ。不合理が、愚かな考えや感情をあなたの意識に押し付けようとするときには、いつもこれらを根こそぎにし、よくよく調べ、拒否するとよい。半ば理性によって、半ば小児的な愚かさによって振り回されるような、優柔不断な人間にとどまっていてはいけない。あなたの幼年時代を支配した人たちの思い出に対する不敬を恐れてはならない。当時、彼らが強く賢くみえたのは、あなたが弱くて愚かだったからにほかならない。今や、あなたは弱くも愚かでもないのだから、貴方の仕事は、彼らの見かけ上の強さと賢さを点検し、あなたが、今だに習慣の力で払っている尊敬に、はたして彼らが値するか、考えてみることだ。伝統的に子供達にほどこされている道徳教育によって、はたして世の中がその分だけよくなったかどうか、真剣に自問してみるが言い。伝統的な意味で有徳な人の性質の中に、どれほどまぎれもない迷信が入り込んでいるか、考えてみるがいい。そして、あらゆる実在しない道徳的な危険は、信じがたいほど馬鹿げた禁止によって防御されているのに、おとながさらされている現実の道徳的な危険については、ほとんど何も言及されていないことに思いをいたすがいい。普通の人が誘われる真に有害な行為とは、どんなものか。法律では罰せられない狡猾な商取引、使用人に対する邪険さ、妻子に対する残酷さ、競争相手に対する意地悪、政争における残酷さーこれらが、まともな、尊敬もされている市民の間で 普通に見いだされる真に有害な罪である。これらの罪によって、人は身じかの人々に不幸をまき散らし、文明破壊に手を貸している。・・・・・・・・。


彼らの意識下の道徳は、なぜ、こんなふうに理性から分離してしまったのか
それは、彼の幼年期を支配した人たちの信じていた道徳がバカゲタモノであったからだ。その道徳が、社会に対する個人の義務の研究から導き出されたものではなかったからだ。その道徳は、不合理なタブーの古臭い断片から成り立っていたからだ。・・・・。世界の正常な役割を果たすべき人たちは、今こそ、この病的なナンセンスに対して反逆することを学んで良いころだ」。


ラッセル氏が、これまでに述べていることを要約すると、次のようになると思います。
(1)私達は、子供時代に、知らぬ間に、大人たちから不合理な道徳教育を受けた。
(2)そのため、私達の心には、多くの不合理な道徳が、植えつけられています。その結果、罪悪感が生まれ、その罪悪感が、私達の生活を不愉快にしている。
(3)この罪悪感から脱却し、生き生きした生活へと改善する方法は、不合理な道徳を、理性の力で、よくよく点検し、不合理な道徳を捨て去ること
だ。たとえば、彼が「嘘をつくことは、いつでも、悪いこ
とでは、ない!」という事に気づけば、その徳目に振り回さ
れることは、なくなるのだ!


ラッセル氏の論述は、次号でも、真剣に続けられます。
昨今、国策として、道徳教育が強化されつつあります。道徳教育が、い
かに危険であるか、今こそ、私達は真剣に考えねばならない、と思います。


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