どんぐりおじさんの<人間関係論>

教育学を中心に、人間関係論やコミュニケーション論などに関する私案を、いろいろ書いています

教育新聞(第61号)・・前編

 先生の成長が、生徒の成長を、促進するでしょう!


人格養成のための教育学
=対話による、生徒中心の教育=



自己概念テスト結果の検討を、続けています。


あなたのテスト結果と照合して、自分を見つめてください。



(18)「私は、生徒に、不満を感じる」。

 (18-1)「私は、生徒に、しばしば、不満を感じる」。

 生徒のどのような言動に、不満を感じるのでしょうか?


 ここがポイントです。


 不満を感じるのが、妥当な場合と、妥当ではない場合が、あると私は、思います。


 (イ)次のような時、不満を感じるのは妥当でしょう。

 授業中に生徒が、騒がしくて、授業が出来ない時。


 *生徒が遅刻して来た時。


 これらの不満は、先生としての責任感から生じたものであり、生徒の成長に役立つと考


 えられるので、妥当な不満だろう、と私は思います。


 もし、このような場合に、不満を感じないとすれば、生徒への関心、教師としての責任


 感が、弱いのかも知れません。



 (ロ)次のような時、不満を感じるのは、妥当ではないでしょう。

 「おはよう」と挨拶した時、生徒が、黙っていた場合。


 生徒同志のケンカをとめたのに、ケンカをやめなかった場合。


 *「赤い靴を履くのは、やめなさい」と注意したのに、生徒がその通りにしなかった


  場合。


 これらの不満は、生徒の成長とは関係のない、先生個人の誤った、身勝手な教育観から


 生じたものかもしれないと、私は考えます。


 ですから、妥当な不満とは言えない、と私は考えます。


 先生自身が、<現在の自分の教育観>を、健全なものに改善する事が出来れば、この


 ような身勝手な不満は、無くならないにしても、弱まるでしょう。



 (18-2)「私は、生徒に、ほとんど不満を感じない」。

 先生は、生徒の成長を願いながら、生徒たちと、日々、関わっています。


 ですから、この願いが強ければ強いほど、思うように、うまくいかないことが多く、い


 ろいろな不満、怒りなどが、あなたの中に生じると考えられます。


 それなのに、「ほとんど不満を感じない」のは、なぜでしょうか?


 その原因は、なんでしょうか? 


 <生徒の成長を願う気持>が弱いため、<生徒の言動に対する

 関心>が薄生徒をよく観察していないのではないでしょうか?


  
 もし、そうであれば、生徒の言動に、不満も、怒りも、喜び


 も、感じる事が、ほとんどなくなってしまうでしょう。



 残念です。
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     どんぐりおじさん 
                        takano2424@sky.plala.or.jp
                        http://donguriojisan.muragon.com/

  

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