教育新聞(第55号)
いくら努力しても、効果の上がらない教育方針は、変更することが、賢明なのではないでしょうか?
人格養成のための<新・教育学>
=対話による、生徒中心の教育=
【 自己概念テスト(1)】の結果の検討(つづき)。
(1)~(15)・・・・すでに検討済みです。
今号は、前号の(16)を引き続き検討します。
(16)私は、生徒に、礼儀を守らせようとする(つづき)。
A先生は、生徒に、礼儀(挨拶、など)を守らせる事を、自分の強い指導
方針として、かなりの期間、熱心に実行してきました。
今、A先生と私が話し合っています。
A先生「あなたは、私が、私の指導方針を、止めることを、勧めているのですね?」。
私「止めるのを勧めている、と言うほど、強い提案ではないのです。
いくら努力しても効果が上がらない事に、A先生の時間と労力を使うのは、勿体ないの
で中止して、そのエネルギーを、もっと他の方面に有効に使う方が賢明ではないか、と
ご提案しているのです。
A先生の指導方針や活動を否定しているわけでは、ないのです」。
A先生「よくわかりましたが、ここで気になる事があります。
それは、私が、私の<今の指導方針を止める>と言うことは、例えば、私
が、朝、生徒に会った時、『おはよう』と声を掛けることも,止めた方がいい、とあな
たは、言っているのですか?」
私「それは違います。誤解です。私の提案は<生徒に礼儀を教え込もう>と
言う<今の指導方針を中止する事>を提案しているだけなのです。
A先生が、生徒に、「おはよう」と言うか、どうかは、A先生の自由ではないでしょう
か?
もし、ご自分が、言いたいのであれば、言えばいいのではないでしょうか?
ただ、この時は、A先生は、<自分が言いたいから言うだけ>であって、
生徒に『おはよう』と言わせよう、挨拶を教えよう、と言う<意図,目
的、ねらい(指導方針)> は、A先生の気持の中には、ないのです。
ですから、生徒たちが、返事をしても、しなくても、良いのです。
A先生がこのような気持になることが、<自分の指導方針を、やめる、中
止する>という意味です。
私がお伝えしたかった事はこう言うことなのです。
いかがでしょうか?
ご理解いただけたででしうか?」
A先生「よくわかりました。ちなみに、あなたは、例えば、朝、生徒たちに会った時、
かならず、どの生徒にも『おはよう』と声を掛けますか?」
私「私は、次のように心がけています。
*生徒の方から、声を掛けてきた時は,かならづ、返事をします。
*生徒同志が、会話をしている時は、黙っています。
生徒の会話を中断したくないからです。
*これ以外のときは、声をかけます」。
A先生「機械的に、すべての生徒達に挨拶をするのではなくて、生徒1人1人の、その
場の状況を良く見て、挨拶をしたり、しなかったりするのですね?」
私「おっしゃる通りです」
A先生『納得しました。あなたの提案に賛成します」。
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