教育新聞(第49号)
人格養成のための<新・教育学>
=対話による、生徒中心の教育=
人間の性格(つづき)
【自己概念テスト】結果の検討
(1)、(2)、(3)、(4)、(5)、(6)、(7)・・・すでに検討済みです。
今号は、(8)からです。
(8)「私は、生徒同志の会話を、聴く」について。
先生方が,「生徒達が、どのような会話をしているかを、よく聞く能力」を持っていることは、先生方の資質の中でも、非常に重要な資質の一つだ、と私は考えています。
その理由は、次の通りです。
(1)あなたが「生徒同志の会話を、よく聴くこと」によって、初めて「生徒同志の会話」のすばらしさを、あなたは学ぶ事が出来ると思われるからです。
「生徒同志の会話」のすばらしさを、ぜひ学び取って欲しいと思います。
(2)あなたが、このすばらしい「生徒同志の会話」を、よく聞くこと、よく観察することによって、実感として学ぶ事が出来た時に、先生の役割である<生徒の人格養成の促進>を、<あなた、と、生徒>の<対話の場>で実践して行くことが出来るものと、私は確信しています。
(3)では、すばらしい「生徒同志の会話」とは、どのようなものでしょうか?
私の観察によれば、そこには「
気持(心)の交流
」
が、充分、ある
、と言うことです。
「気持」とは、「瞬間、瞬間に、自分が感じる感情、願望の、すべて」です。
「喜、怒、哀、楽、好き、嫌い、願望、欲望、・・・・・・」
(4)繰り返しになりますが、<あなた、と、生徒>の<対話の場>で、<生徒、と、生徒>がやっている「気持の交流」を、あなたも、実践することによって、<生徒の人格養成を促進する事>が出来るでしょう!
(5)「気持」の対極にあるのが、「理屈(価値観)」です。
たとえば、「挨拶をキチンとやりなさい」、「嘘をついては、いけまん}・・・・。
このような、先生の理屈は、生徒には通じません。
通じないことは、やってみれば、すぐわかります。
なぜ、通じないのでしょうか?
生徒は、先生の理屈を理解出来ないからです。
先生の理屈は、おとなが決めた、おとなの世界だけで通用する理屈です。
この事実を無視して、先生が、生徒に「お説教」をするのを、よく見かけます。
すると、批判力がまだ育っていない生徒は、先生の理屈を、正しいもの、として
鵜呑みにしてしまいます。
これは、間違った教育です。
「お説教」は、子供の成長を妨害する行為です。
あなたが、もしこの項目(6)に、マイナスの判断をされているならば、プラスの判断に、少しずつ変わって行くように努力して欲しいと思います。
「プラス側に変わりたくない」と考えるのであれば、あなたの心の中に、何か、「誤った考え」、「偏見」、「思い込み」などが存在しているために、「生徒同志の会話」の素晴らしさを、認めること、感じる事、が出来ないのではないでしょうか?
このあたりを、よくよく点検して、上記の様な「足かせ」から、自分自身を解放して欲しいと思います。
あなたが、自分を縛っている「足かせ」に気ずいた時、「足かせ」がはずれて、あなたの心は、より自由になり、生徒たちの「生き生きとした、すばらしい会話」を認める事、感じる事、が出来るようになるでしょう。
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*ご感想を心よりお待ちしています(ドングリおじさん)。
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