愛してよ!(第4回)
愛してよ!(第4回)
(6)母親の偏愛(誤解された愛)
<愛>という感情、<愛する>という行為は、母親だけでなく、多くの人達に誤解されているように、僕は強く感じているのですが、いかがでしょうか?
では、どのように誤解されているでしょうか?
(1)母親が「子供が、欲しがる物品は、出来るだけ多くの時に、買い与えることが、子供を愛する事である」という誤解。
愛は、子供の健全な成長を援助、促進するものでなければなりません。
母親が、子供が欲しがる物品を、頻繁に買い与えると、子供は、どのように感じるでしょうか?
子供は「私が欲しがれば、ママは、何でも、いつでも、私の願い通りにしてくれるのだ」と思い込むでしょう。
これは、子供の成長に役立たないどころか、子供を依存心の強い、自主性、自立性、自律性、自発性のない弱い人間にしてしまうでしょう。
子供に物を買い与えるのは、必要最小限にすることが、愛なのです。
(2)母親が「子供が、やって欲しい事を、何でもやってあげる事が、子供を愛することである」という誤解。
これは(1)と同じ理由で、これは、愛ではありません。
母親は、子供自身の身の回りのことには、手出し、口出しをしないで、自力でやらせることが、強い子供を育てるのです。
「早く、宿題をやりなさい」、「自分の部屋の掃除を、早くやりなさい」、「傘は、ママが、たたんであげようね」などと言う、誤った親切心は、愛ではありません。
母親は、ある意味、子供を冷たく、突き放さねばならないのです。
ベタベタとクッツイテいては、いけません。
これは、母親にとっては、少し、いや、かなりつらい事ですが、<親の子離れ>が必要なのです。
また、これは、子供にとっても、きびしい<子の親離れ>なのです。
母親は<親の子離れ>、子供は<子の親離れ>というきびしい経験を通して、ふたりは、人間としての独立に向って少しずつ成長して行くことが出来るのです。(つづく)
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愛してよ!(第3回)
(4)母親が、子供を愛する具体的態度とは?
(4-1)子供が、話しかけてきたら、しっかり聴く。
(4-2)子供の行動を、暖かく観察する。
(4-3)子供に、やさしく話しかける。
(4-4)子供に、やりたいこと、言いたいことを、自由にさせる。
(4-5)子供が、何人かいた場合、エコヒイキをしない。
(4-6)子供が、何でも言ったり、何でもやったり出来る<自由な雰囲気>を、家庭の中に作る。
(5)母親が、子供を愛していない具体的態度とは?
<(4)の反対の態度>。
(5-1)子供が、話しかけてきても、返事もしない。知らんぷり。無視。
(5-2)子供の行動を、見ていない。無関心。
(5-3)子供に、暖かく話しかけない。
(5-4)子供に、やりたいこと、言いたいことを、自由にさせない。
つまり、子供を、自分の思い通りに動かそうとする。
(5-5)子供が、何人かいた場合、エコヒイキする。
(5-5)子供が、何も言えない、何も出来ない<窮屈な雰囲気を>を、家庭の中に作る。
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どんぐりおじさん