<新・教育学>(その6)
人格養成のための<新・教育学>(その6)
=対話による、生徒中心の教育=
(Ⅰ)実践論
(1)序論
(2)基礎概念
(い)C・R・ロジャ―ス博士の仮説。
(ろ)<実現化傾向>について。
ここまでは、すでに述べましたので、そちらをご覧になって下さい。
・・・参照:(その1)~(その4)。
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今回は、次の(は)から始まります。
【お願い】
私の教育学をお読みになるときは、常に、批判しながら読み進んで下さい。
ある部分は賛成し、ある部分は疑問を抱き、ある部分は否定しながら。
丸呑み、全否定は、学びが少ないと思います。
一人、一人が、自分の教育論を築くことが、何より重要
(は)その個人(赤ちゃんから、おとなまで)に
対して、外部から与えることが出来る<適切な条件>
とは、何かでしょうか?
それは<自由な環境>です。
私は、私の観察と経験から、そう確信しているのですが、いかがでしょ
うか?
私の観察によれば、すべての人間は、この世に生まれた時から(胎児の
時から、いや、多分、もっと前から)、自分を健全な方向へ成長・発展さ
せることが出来る、あらゆる潜在的能力を自分の内部に持っていて、自分
の力で、そのあらゆる能力を発揮し、実現しようとする傾向を持っている
ように見えます。
その傾向が、ロジャース博士の仮説<実現化傾向>です。
赤ん坊の行動をよく観察すれば、このことは誰にでも納得できる事ではな
いでしょうか?
誰も教えていないのに、乳房からオチチを吸い、やがて、自分の力でハイ
ハイをし、自分の力で立ち上がります。歯が出て、物を食べ、コトバを覚え、話し、・・・・。
この状況が、<実現化傾向>が<実際に発揮されている、子供の姿>です。
子供を外から眺めている時、この生命の躍動に、私はいつも感動します。
子供達を、偏見なく、あるがままに見ることの出来る人なら、誰でもが
感じることでしょう。
(に)さて、以前から問題になっている<自由な環境>とは、どのような
ものでしょうか?
「自由とは何か?」などと、むずかしく考えるのはやめましょう。
常識で、誰もが了解できるコトバで表現することにしましょう。
私のイメージでは、「自由」とは、<その個人の,体と心が「伸び伸び出来
る」、「生き生きしている」、「安心できる」、「ゆったり出来る」、
「自分の好きに出来る」、このような環境・雰囲気>です。
「不自由」とは、「自由」の反対です。
<「強制、規制、束縛、不安、恐れ、咎め」などが、あって、その個人の
体と心が「ゆったり出来ない」、「環境・雰囲気」>です。
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どんぐりおじさん
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