どんぐりおじさんの<人間関係論>

教育学を中心に、人間関係論やコミュニケーション論などに関する私案を、いろいろ書いています

教育新聞(第19号)

       教育は、子供たちの幸福のためにこそ!
      
        人格養成のための<新・教育学>
      =対話による、生徒中心の教育=


<生徒の人格養成>の実践    
  =その具体的方法=          


「先生と生徒の対話」における「先生の発言」について      
                  
(1)生徒の成長を、促進する「先生の発言」
  (1-1)「生徒の気持ち」の確認。
    「生徒が、その時、感じた」と、先生が思ったこと、を生徒に、確認する発言。


      (1)「喧嘩したいの?」   (6)「好きなの?」
       (2)「うれしいの?」   (7)「怒ってるの?」
       (3)「悲しいの?」     (8)「やりたかったの?」
       (4)「いやなの?」     (9)「つらいの?」
        (5)「きらいなの?」   (10)「苦しかったの?」         【解説】
       生徒が、人間として成長していくためには、最低限、
        (1)「今、生徒が、どんな気持ちか」(気持)
        (2)「今、生徒が、何を、やっているか」(行動)
        (3)「今、生徒が、何を、言っているか」(発言)
          を<生徒が、その時、意識する(知る>必要があります。しかし、
         これは、生徒に限らず、私達、すべてのおとなにとっても、非常に困         難なことなので、この3点を、<生徒が、その時、意識しない(知ら         ない)>ことが、しばしば起こります。
          しかし、もし、先生が、その時、この3点を生徒に確認するならば         その時、生徒は、この3点を、より明確に、または、より深く、「意         識する(知ること)」ことが出来ます。


  (1-1)で述べたことは、【解説](1)の場合を示しています。


  (1-2)「生徒の行動」の確認。           
     これは、【解説】(2)の場合です。
   
       (1)「喧嘩してるの?」     (8)「やる事に、したの?」
        (2)「コマ回し、やってるの?」 (9)「やめたの?」
        (3)「書き取り、やってるの?」 (10)「公園で遊んできの?」        (4)「帽子、かぶってるの?」  
        (5)「カサを、たたんでるの?」
        (6)「黒板、きれいに拭いてくれたの?」
        (7)「これから、お掃除、やるの?」
      
  (1-3)「生徒の発言」の確認。 
     これは、【解説】(3)の場合です。
     この場合は、「生徒が使ったコトバ」を「そのまま使って確認する」
     と、<生徒は、より強く、その時の自分>を見つめることが出来ます。


        例(1)生徒「わたし、音楽は、嫌いだ!」
            先生「音楽は、嫌いなの?」
            生徒「うん、嫌いだ!」
            先生「そうか、絶対、嫌いか」
            生徒「いや、絶対じゃないよ。歌うのは、好だよ」
 
        (2)生徒「ぼく、国語、大好き!」
            先生「君は、国語、大好きなんだ!」
            生徒「でも、漢字練習は、あまり好きじゃない。」


        (4)生徒「うれしいな!」
            先生「今、うれしいんだ!」
            生徒「うん! すごく、うれしい!!」


  (1-4)先生が「その時の、自分(先生)の気持ち、願い」を、生徒に伝える発言



        例(1)「わたしは、今、困ってるんだよ。何とか、ならないかな。」
         (2)「わたしは、うれしいな。よかったな。」
         (3)「わたしは、悲しいな。つらいな。」
         (4)「こら!! わたしは、怒ってます!!」
         (5)「そう言う事は、わたしは、きらいなの(好きなの。)」
         (6)「それは、わたしは、いやだな。」
         (7)「わたしは、それ、やめて欲しいな(やって欲しいな)。」
         (8)「わたしは、遅刻しないで欲しいの」


(2)生徒の成長を、促進しない(妨げる)「先生の発言」         
    先生の知識(理屈、常識、価値観、道徳観、法律、・・・・・)に、もとづく批   判的、評価的、強制的、説得的、誘導的発言。


        (1)「嘘をつくのは、悪いことです」(道徳観)
         (2)「喧嘩は、悪いことです。やめなさい!」(道徳観)
         (3)「挨拶は、大切だから、ちゃんとやりなさい」(おとなの常             識)
         (4)「それは、学校の規則だから、きちんと、守りなさい」
         (5)「君は、いつも宿題をやってきて、えらいね」(評価的褒めコ             トバ)
         (6)「君は、国語は良く出来るけど、算数はダメだね」(評価的批             判)
         (7)「何度、注意しても、私のいう通り、やらないね」(強制。命             令)
         (8)「今度、100点採ったら、あなたが欲しがってたゲームを              買ってあげるよ。だから、がんばりなさい!」(餌で、釣ろ             うとする誘導)。


     【解説】
       (ィ)生徒は、まだまだ、人生経験が少ないのですから、生徒の知識は明
          らかに、先生の知識より、はるかに少ないのです。ですから、当然          上に述べたような、先生の知識の大部分、特に、礼儀作法は、生徒          には、理解出来ないのです。当たり前のことです。理解して欲しい          と思っても、出来ない相談なのです。歯のない赤ん坊に、オセンベ          イは、食べられません。「食べろ」と言うのは無理なのです。無理          を通そうとすると、先生は、生徒に、強制、説得、命令、誘導、           賞、罰などによる指導をしなければなりません。こうなると、<対          話の場>から<生徒の人格養成>に必要な<自由な雰囲気>が、失          われます。前にも述べた様に<自由な雰囲気>の中でしか、生徒の          成長は起こりません。よくよく、注意しなければなりません。


       (ロ)さらに、問題は、先生(先生だけでなく、すべてのおとな)の知識          には、かならず、誤りが含まれていることです。大人の知識は、頭          の中に記憶されています。TV、本、他人の話、常識などから「良          いこと」、「正しいこと」として、いつの間にか取り入れたもので          す。
           人間は誰でも、完全ではありません。知識に誤りがあっても仕方          がありません。しかし、もし間違った知識が、先生の説得によって         「先生の言っていることは、正しいのだ」と、生徒が受け取る(特に          低学年の場合は、批判力がないので、先生の教えを鵜呑みにしま           す)と生徒の中に、間違った知識が植えつけられます。この間違っ          た知識は、生徒が、この知識が誤っていることに気づき、訂正され          るまで、生徒の行動を支配します。かならず、そうなります。そう
          なると、生徒のすべての人格特性(自主性、感受性、力、・・・)          の発達を妨害することは確実です。危険です!
           では、知識以外の、どのような「先生の発言」が、生徒の心に通          じ<生徒の人格養成>に役立つのでしょうか。
           それは、すでに、(1)に述べられています。
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               takano2424@sky.plala.or.jp

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