教師に求められる人間的能力(6)・<先生自身の性格を認識する洞察力>・ = 自己概念テスト結果の分析(10)=
教師に求められる人間的能力(6)
<先生が自分の性格を認識する洞察力>
= 自己概念テスト結果の分析(10)=
(15)私は、生徒に、礼儀を守らせようとする。
わたし「あなたは、生徒に、礼儀を守らせようと努力しておられるわけですね?」
佐藤先生「そうです」
わたし「なぜ、生徒に礼儀(挨拶、お礼などの社交辞令)を守らせようとするのですか?」
佐藤先生「社先生出てから、礼儀作法が守れるようにするためには、子供の頃から、挨拶、お礼などが、キチンと言えるように、しつけておくことが大切だと考えるからです」
わたし「なるほど。では、あなたが試みている<しつけ指導>は、成功していますか?」
佐藤先生「それが、実は、なかなかうまくいかないのです。例えば、朝、私が、生徒に、『おはよう』と声を掛けても、大部分の生徒が、返答しないのです。また、朝の会などでも、大人の人に会ったら、挨拶をしなさい、と教えているのですが、理解しません」
わたし「全員の生徒が、返答する事が目標ですか?」
佐藤先生「そう思うので、毎日、努力して、頑張っているのですが、うまくいきません」
わたし「努力を続ければ、そのうち、成功すると思いますか?」
佐藤先生「実は、そう思えないのです。何か、良い解決策はありませんか?」
わたし「それでは、参考のため、わたしなりの解決策をこれから述べたいと思います。わたしは、ある目標を立てて、実際に、何回か、試みたが、成功しなかった場合には、<その目標・方針を、思い切って、中止すること>が賢明な解決策だろうと思います。いつまでも、その目標・方針にしがみついているのは賢明ではないと思います。
この時、<思い切って中止すること>が、何か悪い事でもするような、後ろめたいような気分になりませんか? そんな気分になるのは、多分「途中で止める事は、良くないことだ」と言う偏見が、私達の頭にあるからではないでしょうか? しかし、よく考えてみると、<中止すること>は、決して悪い事ではありません。良いも悪いもありません。とにかく<実際に、やってみたが、出来なかった>と言う事実を,はっきり認めることこそが、重要なのではないでしょうか」
しつけ指導だけでなく、どんな場合でも、このように(上記のように)<現実を認めること>によって問題を解決する事が賢明だ、と私は考えています。しかし、これは、誰にとっても、実行がとても難しいことです。なぜなら、<現実を認めること>が、なかなか出来ないからです」。
佐藤先生「あなたの意見を聞いて、今、わたしは、随分、自分が、無理な事をやろうとして、がんばっていたなー、という気がしています」。
*大部分の人が、教育の場だけでなく、生活全体で、無理なことを、自分や他人(特に、子供)に強制しているように見えて気がかりなのですが、いかがでしょうか?
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どんぐりおじさん
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