どんぐりおじさんの<人間関係論>

教育学を中心に、人間関係論やコミュニケーション論などに関する私案を、いろいろ書いています

教育新聞(第15号)

       人格養成のための<新・教育学>
       =対話による、生徒中心の教育=

(Ⅰ)実践論
   (1)序論
   (2)基礎概念
      (い)C・R・ロジャ―ス博士の仮説
      (ろ)<実現化傾向>について
      (は)その個人に対して、外部から与えることが出来る<適切な環境>とは         何か?
      (に)自由な環境とは、何か? 不自由な環境とは、何か?
      (ほ)自由な環境
      (へ)不自由な環境
      (と)人格(パーソナリティ)とは何か


   ここまでは、第1号から第14号までに述べられています。 
  第15号は、次の(ち)から始まります。


(ち)子供(幼児から社会人になるまで)の人格養成は、誰が、いつ、どこで、行うので   しょうか。
  (1)<子供の人格養成>は、誰が、行うのか?
     当然、子供ひとりひとりが、自分自身の力で、自分自身に対して、行うので      す。そのような能力を、すべての子供が、生まれた時から、潜在的に、先天的     に、持っています。すべての人間が、それらの能力を、実現して行く性質・傾     向(実現化傾向)を持っているのです(ロジャース理論)。   
      ここで、みなさんから、こんな声が聞こえてきます。
    「<子供の人格養成>は、子供自身が、やるのですか! それは、間違いではな    いでしょうか!<子供の人格養成・人間形成>は、私達おとなの仕事ではないで    しょうか!」と。
     このご意見は、これまでの教育観からすれば、当然、予想されるものです。し    かし、<新・教育学>は、そうではないのです。子供の実際の成長を、あるがま    まに観察するならば、必然的に、どうしても、「子供の人格を養成しているの     は、子供自身」なのです。 おとなが、子供に<自主性>、<好奇心>、<思考    力>などなど(第14号参照)を与えることが出来るでしょうか? 決して、出    来ないのです。これは事実です。子供自身が、自分の中にある可能性を発揮しな    がら、自分を養成・成長・発展させて行くのです。ロジャース博士は、自分の長    年のカウンセリング経験から、これを実証したのです。


     学問は、どんな学問でも、頭の中で抽象的に考えて理論化すると、事実から遊    離した誤った理論となるのです。事実をよくよく観察して、そこで得られた具体    的な多くのデーターを、理論化したものでなければなりません。これが、科学的    態度だと思います。すべての学問は、科学的でなければ、とんでもない誤りを犯    すでしょう。教育学も、科学です。そうしないと、おとなは、子供たちを、不幸    な人間にしてしまうに違いありません。危険です!


(2)おとなは、子供のために、何をすべきでしょうか
    <子供の人格養成>は、子供自身が、実行するのです。では、おとなは、子供の   ために、何をすべきなのでしょうか? 何が出来るのでしょうか? 何もすべきこ   とは、ないのでしょうか? 怪我でもしないように、だまって見ていれば、いいの   でしょうか? とんでもありません! おとなには、おとなにしか出来ない重要な   仕事があるのです。それは、何でしょうか? <自由な環境>を与えることです   (第14号、参照)。おとなにとって、この仕事は、重労働です。しかし、この仕事   の中で、子供が元気に育っていくのを見る喜びは、何ものにも変えがたいものであ   り、ここに、おとなの生き甲斐があるのです。


(3)<自由な環境>は、いつ、どこで、だれが、子供に与えるのでしょうか?
    <新・教育学>では、<子供>と<おとな>を、どのように考えているか、すで   にお解りだとは思いますが、誤解を避けるため、ここであらためて明確にして置き   たいたいと思います。
    <子供>とは、<誕生直後の赤ん坊から社会人(約20歳)まで>を考えていま   す。この間、子供は、家庭、保育園、幼稚園、小・中・高・大学校を経過して、社   会に出て行きます。この期間に、子供は、<家庭では保護者>と、<他の機関で    は、先生と呼ばれている人々>と、時間を過すことになります。それぞれの場所    で、それぞれの人々から<自由な環境>が、子供に、与えられなければなりませ    ん。従って<新・教育学>で<おとな>と言う場合は、<保護者>と一般に<先生   と呼ばれている人たち>を指します。
    <自由な環境>を子供に与えることは、おとなにとって、とても困難な事です    が、子供にとっては、空気と同じ位、命にかかわる必需品なのです。<自由な環    境>が、十分であれば、子供は、生き生きと、自分の可能性(自主性、自立性、感   性、理性、思考力、などなど・・・第14号参照)を伸ばして行きます。もし、不   十分であれば、子供の成長は、伸び悩むことになるでしょう。残念ですが、元気の   ない人間になってしまうでしょう。時には、欲求不満が強まり精神障害が起こるで   しょう。


 以上のことからお解りのように<新・教育学>は、いわゆる<学校教育>と言う、狭い範囲ではなく、<多くの場>で、<多くのおとな>を含んだ、多くの時間、広い範囲を眺めているのです。子供の活動は、家庭だけ、学校だけ、などと限定することは出来ない相談ですから。子供は、<赤ん坊の時から社会人になるまで>、朝から寝るまで、毎日、生活しているのですから。この全生活で、子供の人格は養成されて行きます。社会人になってからは、おとなから<自由な環境>を与えてもらわなくても、自分自身が<自由な環境>を作り出す力を持つところまで、おとなから<自立>して欲しいものです。別の角度から言えば、<おとなの教育目標>は、子供が20歳位になるまでに、<子供の自立心>を育て上げることではないでしょうか。この目標が達成できれば、社会にでた子供達は、自力で困難を乗り越えながら、幸福な人生を切り開いて、生き生きと生きて行くことが出来るに違いありません!
次号からは、いよいよ具体的な実践論を始めます。ぜひご一緒にお考え頂きたいと思います。
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