どんぐりおじさんの<人間関係論>

教育学を中心に、人間関係論やコミュニケーション論などに関する私案を、いろいろ書いています

教育新聞(第10号)

 第10号 2016年1月14日 発行 人格養成のための<新教育学>
      =対話による、生徒中心の教育=
                          
(Ⅱ)教育の目的は、ただ、ひとつ!(第9号の続き)
  (3)夏目漱石の言葉「心の発展」
     最近、朝日新聞は、なぜか、夏目漱石に関心を寄せています。元日の朝刊で     も、漱石のいくつかの作品から抜粋された文が載っていました。その中の「模倣
    と独立」という作品に興味を感じ、すぐ手に入れ読んでみました。実に面白い有    益な内容で、その中に、今、ちょうど私達が考えている「生徒の人格養成」を理    解するのに役立つことが述べられていたので、ここに紹介したいと思います。漱    石のいう「心の発展」と「人格養成」とは、あきらかに同じものだ、と私は思い    ます。


「私はイミテーションを非難しているのではないけれども、人間の持って生まれた高尚な良いものを、もしそれだけ取り去ったならば、心の発展が出来ない。心の発展は、そのインデペンデントという向上心なり、自由という感情から来るので、われわれもあなた方も、この方面に修養する必要がある。そういうことをしないでも生きてはいられます。また自分の内心にそういう要求がないのに、唯表面だけ突飛なことを遣る必要は無論ない。イミテーションですまし得る人は、それでよろしい。インデペンデンとの資格を持っておって、それをほおって置くのは惜しいから、それを持っている人は、それを発達させて行くのが、自己のため日本のために幸福である。」(漱石「模倣と独立」より)。


  (4)まとめ
     話はどこまで来ていたのでしょうか? 第8号、第9号を、まとめてみたい     と思います。
     (イ)教育の目的は、ただ一つ、生徒の人格養成である。
     (ロ)知識教育は、人格養成に必要なものであるから、人格養成に欠かせな        いものではあるが、教育の本来の目的ではない。知識教育は、「生徒の        人格養成」の補助手段にすぎず、学校教育の本来の目的では、ない。本        来の目的は、ただ一つ、生徒の人格養成である。
     (ハ)生徒の人格養成(人間形成、人間としての成長・発展)は、その生徒        が、生涯を通じて、コツコツと努力することによって、一歩一歩、実現        して行く困難な道である。
     (ニ)はたして、生徒は、そのような能力を持っているのでしょうか? こ         れが、私達の心配であり、大問題です。    


  (5)ここで、ロジャースのすばらしい仮説が、私達を勇気づけてくれます。
      その仮説を、つぎに示します。


ロジャースの仮説
 <すべての人間は、生まれながらにして、自己を健全な向へ、成長・発展させてゆく潜在的性質(潜在的能力)を有する。この潜在的性質を、実現化傾向と名づける>。


 ここで重要なことは、ロジャースは、自分自身の長年のカウンセリングの体験からこの仮説を生み出し、この仮説を実証している、という点です。簡単に言えば、実証が行われている、という所が重要なのです。哲学者が、論理的に考え出しただけの、実証されていない仮説ではないのです。ここが、ロジャースの仮説の重要な所です。ロジャースの科学者としての誠実な態度が感じられます。


  (6)私達は、この仮説を承認できるでしょうか?
      私達が、子供達を偏見なしに観察すれば、誰でも「確かに、その通りだ」と     この仮説を承認出きるに違いない、と私は考えるのですがいかがでしょうか?
      誰も教えないのに、乳首からオチチを吸い、やがて、ハイハイし、立ち上が     り、何とかして、すべり台に登ろうとする乳幼児! 休み時間に、生き生き      と、元気に、楽しそうに、飛び回る幼児、児童! 今出来ないことに、何度で     も挑戦していく子供達! このような子供達の性質、能力、傾向が、ロジャー     スの言う人間の<実現化傾向>です。


  (7)実現化傾向が発揮される条件
      実現化傾向は、潜在的能力です。例えて言えば、植物のタネの中に潜んでい     る生命力の様なものです。たとえば、その植物の成長に適した水、土、光、肥
     料、その他の、十分な条件が、与えられなければ、タネは、発芽し、成長し、     花を咲かせることは出来ません。
      人間の場合、その人間の潜在能力が、十分に発揮され、実現されるために適     切な条件、適切な環境とは、どのようなものでしょうか? 適切な条件、適切     な環境が、もし不十分であれば、人間の成長・発展は、不十分になります。       まったく、必要な条件が与えられない場合は、残念ながら、人間は、その時     に、死んでしまいます。非常にきびしいことですが、人間に限らず、生命の掟     といえるでしょう。
      私達おとな、特に、教師や保護者が、子供たちのために出来ることは、ただ     一つ、全力で、適切な条件、適切な環境を、与えること。その努力をするこ      と、ではないでしょうか。 
  
      繰り返しになる部分もあると思いますが、そのような条件とは、どのような     ものでしょうか?
      次号では、このあたりのことを、考えてみたいと思います。
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